物部川流域ふるさと交流推進協議会

物部川流域を知る

物部川について

 物部川は、香美市の白髪山を源とし、四国山地から香美市、香南市、南国市をまたぎ、土佐湾へと注ぐ一級河川です。紅葉の名所として知られている別府峡や「日本の滝100選」にも選ばれている轟の滝といった優れた景勝地があるほか、源流には多くの野生動物が生息する剣山国定公園があり、豊かな自然環境にも恵まれています。

 一方、物部川は急流な河川のため、かつては大きな洪水が繰り返され、住民に甚大な被害を及ぼしたことから、対策として治水や利水を目的としたダムが建設されました。以降、水力発電による電力供給や、農業用水や工業用水、地下水を利用した生活用水の利用など、さまざまな形で人々の日常生活を支え続けています。

物部川流域の“歴史”

 物部川に広がる香長平野には、弥生時代から人々が生活を営んでいたと思われる様々な遺跡・古墳などが残されています。また、平安時代初期には物部川に国府が置かれ、紀貫之が治めた際には官道が開かれるなどの発展を見せました。

 物部川下流部の河道は、元々は洪水が起こるたびに形を変えており、作物への水の供給が難しく荒地が多い状況でしたが、この状況を打開したのが、野中兼山による山田堰の建設です。寛永十六年(1639年)、土佐藩家老の野中兼山は先人の遺した業績をもとに、長さ327m、幅11m、高さ約1m50cmの堰を築きました。完成まで26年を要したこの堰は、下流の平野を潤し、多くの米収を得、また舟入川の運輸を利用することにより土佐藩の経済に大きく貢献しました。

  • 1789年に描かれた物部川絵図(高知県安芸市の五藤家伝来の絵図)
    出典:安芸市立歴史民俗資料館所蔵の絵図

  • 山田堰の様子

  • 上空から見た山田堰近辺の様子

物部川の豆知識

物部川は鏡川だった!?

物部川は、もともとは「鏡川」という名前でしたが、江戸時代の元禄13年(1700年)に五代藩主・山内豊房が現在の高知市を流れる川に鏡川の名をつけたことから、「物部川」と改められました。
「鏡川」の由来となる「鏡野(かがみの)」は、かつての香美郡の呼び名で、後鳥羽上皇が阿波へ遷る道中に物部川の美しい清流を見て、「ここはどこか」とお付きに尋ねた際、「かがみノ」と答えたからと考えられています。
(当時は地名や姓には必ずノの助詞を入れていました)
【参照】「香美史探訪記」(香美市広報2014年6月号)

野中兼山 銅像

野中のなか 兼山けんざん

【生没年】
1615年〜1664年
【出身】
播州國 姫路藩

 江戸時代初期に土佐藩家老として多くの政治・改革を行う。祖父である野中良平の妻は、山内一豊の妹にあたる。
 特に土木事業で功績を挙げ、物部川に築いた山田堰による灌漑用水路網の整備によって開発された田畑は7万5千石とも言われ、合わせて治水対策を行った事で今の物部川の河道の原型となった。その他、手結港、津呂港、柏島港などの築港でもその辣腕を奮ったが、兼山の施策を良く思わない者から弾劾状が届き、失脚させられる憂き目にあう。
 死後、民衆により小祠に祀られており、これが幕府の許可を得て、後に「春野神社」となった。また、五台山にある「兼山神社」は野中兼山を祀った神社である。

物部川流域の“課題”

今、物部川流域では様々な問題が起きています。社会基盤の整備や生活環境の変化により、物部川との関わりが少なくなってしまった私たち現代人にとって、流域に起きている問題に対する意識が薄れてしまっているのではないでしょうか?

ここでは、物部川流域の課題について大きく4つに分けて見ていきます。

1.シカの食害による源流の森の荒廃と山の崩落

物部川上流域では、林業の衰退やシカの食害などにより、流域面積の多くを占めている森林の荒廃が進み、水源かん養の機能が低下しています。

  • さおりが原:原風景(左)とシカ食害後(右)

  • 森の中の歩道:原風景(左)とシカ食害後(右)

  • 三嶺のシカ

  • 林道から谷へと大量の土砂が流出

  • 上流の川に流出した土砂

2.崩落によるダムへの土砂堆積と貯水能力減少

ダム湖の課題は、豪雨の際に上流からの大量の土砂を溜め、濁水の長期化につながること、また貯水能力も減少し、渇水に陥ること

  • 永瀬ダムへ土砂が流入する様子

  • ダム湖底に溜められた土砂

3.中下流域の濁水・渇水問題

物部川は、平成16 年の集中豪雨で大規模な山腹崩壊が起こり、長期間の濁水に見舞われました。この濁水は天然アユの成長や産卵に大きな打撃を与えただけでなく、多くの水生生物やそれを餌とする生き物の生息に悪影響を及ぼしました。

濁水の原因は主に森林の山腹崩壊が考えられ、濁水の長期化の原因はダムへの微細粒土砂の滞留が挙げられますが、水利用の多い物部川にとってダムは重要な貯水機能を担っており、ダムを存続させた上での濁水問題への取組が求められています。

一方、代掻き時における農業濁水の問題も表面化しています。

また、物部川下流においては、工場や家庭で使用された後の排水も貴重な水源となっています。

環境基準地点において、有機汚濁の代表的な指標であるBOD(生物化学的酸素要求量)は基準を達成していますが、数値的なものだけで清流と呼ぶには十分と言えない場合もあり、水量が少なくなる時期の物部川は一時的に水質が悪化することがあります。水質の悪化は、アユの餌となる付着藻類の種類や量に影響を及ぼし、このことにより、アユの成育への影響も懸念されています。

  • 日御子川は清流(左):本流は濁水(右)

  • 農業濁水~せせらぎ水路:左の本流は澄んでいる

  • 統合堰の中央の水無し魚道

  • 瀬切れするほどの渇水の三十代

4.土砂流入による河口閉塞と生態系への悪影響

仔魚などが海で育ち、川に上って育つ両側回遊魚(アユ、ゴリ、アユカケ、モクズガニ、テナガエビ等)にとって、河口は大切な生命線である。なので、閉塞はあってはならないことである。

  • 土砂により川と海の繋がりが絶たれた状態

  • 川と海の間に土砂が堆積し、生物が往来出来ない環境に

物部川流域の“活動”

物部川流域に起きている問題を改善するために、私たちにどの様な事が出来るでしょうか?ここでは、各団体や流域の住民が行なっている各種活動についてご紹介いたします。


  • 森林保全

    シカの食害対策の防護柵設置、植樹活動など

  • 景観保全

    川の清掃活動

  • 生態系保全

    河口の開削作業

  • 濁水対策

    農家による浅水代かきの実施

  • 濁水対策

    重機によるダムの土砂搬出

  • 学習活動

    子どもたちへの環境学習の実施

  • 問題提起

    シンポジウムや講演会の開催

  • 広報活動

    パネル展示による物部川流域の現状を伝える活動


TOP